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東西横貫道路開通記念ゲートをくぐると太魯閣峡谷に入ります。
東西横貫道路開通記念ゲートを
くぐると太魯閣峡谷に入ります。

1962年台湾における国立公園の歴史は日本統治時代の1937年に始まり、日本政府は大屯・次高太魯閣・新高阿里山の3ヶ所を正式に国立公園予定地に指定して計画を提出しました。しかし太平洋戦争の勃発によって計画の中止を余儀なくされ、具体的な実施までには至りませんでした。終戦によって台湾が変換された後、1956年に「台湾観光協会」が発足し、同協会は政府に対し、早急に国立公園の設置を計画するよう提案しました。1962年に政府交通部観光事業チームはアメリカの支援を受け、台湾省公共工程局に委託して、面積2万8400ヘクタールの「陽明山国立公園計画」を完成させました。しかし「国立公園法」がまだ成立していなかったため、実施には至りませんでした。1966年、アメリカの国立公園専門家が中国農村復興委員会と台湾省林務局の招きで台湾を訪れ、数ヶ月にわたって視察した後、「台湾における国立公園および保護区設置の建議書」を提出しました。

1972年「国立公園法」が公布施行され、内政部に公園史跡科が増設されました。国立公園に関する業務を担当した劉勝超科長が責任者となって「国立公園法施行細則」の草案を作成しました。そして1974年2月28日に行政院会においてこれが採択されましたが、すぐには公布されませんでした。
1977年5月、行政院は1978年度の施政計画と予算審査会議において追加決議を行ない、経済設計委員会に内政部・交通部・台湾省とともに国立公園の計画を進めるように指示しました。同年7月、経済設計委員会は各関係部門を招いて「国立公園設置推進計画に関する草案」について協議し、さらに経済設計委員会は「国立公園計画工作指導小委員会」を発足させました。内政部民政司の居伯均司長が幹事長に、張祖璿氏が副幹事長、張隆盛氏が執行委員長にそれぞれ就任し、まず太魯閣地域についての計画がスタートしました。9月1日、当時の蒋経国・行政院長が「東部鉄道の拡張および南廻鉄道計画報告」を受けた際、「建設に従事する際には天然資源と生態の保護を考慮すべきであり、恒春から墾丁と鵝鑾鼻までの地域は『国立公園法』に従って国立公園に指定することができる」と指示を出しました。よって国立公園計画指導小委員会は、墾丁国立公園の計画を優先することを決定しました。

1979年3月、行政院は「台湾地区総合開発計画」を発布し、玉山・墾丁・雪山・大霸尖山・太魯閣・蘭嶼・南横檜谷などの地域を国立公園予定地としました。同時に、国立公園計画を1979年度の重点推進事項に加えるよう内政部に指示し、交通部と台湾省を協力機関に指定しました。内政部は同年5月15日、関係機関を集めて協議し、まず墾丁地域を台湾最初の国立公園として指定することを決定し、同時に「墾丁地域を国立公園とする計画」を修正、可決しました。1979年9月21日、当時の内政部の邱創煥部長は「内政部国立公園計画委員会」を発足し、関係機関の代表者と学者専門家を委員として招き、当日一回目の委員会議を開きました。この会議において墾丁国立公園の計画範囲について意見がまとめられ、11月15日に行政院によって決定されました。

1981年3月2日に営建署が成立しました。当時国立公園業務に関わる唯一の担当技士だった彭茂雄氏が営建署に移って国立公園チームを組織し、「国立公園法施行細則」「国立公園管理処組織通則」「国立公園警察隊組織規程」などの草案を作成しました。これらの法案が立法手続を経た後、1984年1月1日に墾丁国立公園管理處が正式に設置されました。